左遷されて1年。悔しくても会社を辞められなかった 

仕事と退職

左遷されてから、もうすぐ1年が経つ。
辞めようと思ったことは、何度もあった。
でも私は、辞めなかった。
今は、辞めなくて良かったと思っている。

6月19日、携帯で異動の連絡が来た

着信があった時、相手の表示名が私をよく思わない上司だったので、嫌な予感がした。

電話に出ると、こんな内容だった。
「人事の連絡です。7月1日付で異動です。
新しい部署で営業部隊を作ります。
拠点が東京になるので引っ越してください。
拠点長は私の代わりに僕が兼務します。
これからの講師の仕事は引き受けないように」

私は独身で大して仕事はできないが、とにかくよく動いたし、
人が嫌がる仕事も受けてきた方だと思う。
人が足りない部署の応援に行き、希望もしていない異動を3回もしてきた。

特に福岡は人数が少なく、働く環境も恵まれていなかったので断りたかったが、
「次の異動先・異動のタイミングは私の意思を優先する」という約束をもらって異動を受け入れた。
今期から社長が変わったので、事前にこの電話の相手にはその約束のことを伝え、
あと二年は福岡で仕事をしたいと話したばかりだった。

左遷

30年間続けていた仕事から外されたのは、社内で私一人だった。
組織図を見ると、一番下の部署に一人で所属している。
上司からは、「新しい社長の直下でこの会社初めての営業部を作る」とのことだった。

私のチームは、年上の部下・育休明けの人・一年前に採用した経験者の3人だった。

年上の部下とは、異動前からずっとうまくいっていなかった。
お互いに譲れないところがあり、仕事の進め方でぶつかることが多かった。
育休明けの人に対しては、働く時間や配慮が必要な状況だったが、
昭和的な仕事観が染みついた私には、どう接すればいいのかうまく掴めないままだった。

この二人が、私を外すよう会社に訴えていたそうだ。

それだけが理由ではないと思うが。

異動はするが、引越しはしない

会社はあくまで「左遷ではなく業務移行」という立場で、
新しい仕事は東京だからと引っ越すことを強く要求してきた。

30年続けていた講師という仕事を切り離され、また引越しか、と思うと、
悔しいし、悲しいし、情けないし、惨めだった。
独身で身軽なことや私の性格から、会社では都合よく使われてきたが、
特に評価されたこともない。

正直、福岡にずっと住みたいとも思っていなかった。
それでも、会社の都合よく動かされる人と、守られている人の差に、どうにも不満が募る。
これ以上自分を惨めにしたくない。

私はすぐに上司へ反論のメールを送り、後日社長と直接話し合った。
結果、部署の異動は受け入れるが、住居は翌年3月まで福岡に残っていいことになった。

会社の意図が分かった気がする

新しい仕事はマニュアルづくりだった。
悶々としてやる気も起きないし、私はそういった資料作りを苦手としている。
会社もわかっているはずだが……おそらく、私が異動に反発して辞める方向に
持っていきたいのではないかと思うようになった。

在宅・孤独

講師の残りの仕事も終えると、毎日在宅で特に管理もされていない。
マニュアル作成もあまり進まない。
会社は私を外したかっただけなのだから。

東京主体だということだったが、特に東京に呼ばれることもない。
忘年会も、福岡にも東京にも誘われなかった。

もう会社には必要とされない。では私はどうしたいのか?
毎日毎日考える。答えは出ない。
私が外れても会社が回っているところを見ると、虚しい気持ちで落ち込んでしまう。

そんな日々が続いていた。


静かな退職

静かな退職……実際には会社を辞めることではなく、
必要最低限の仕事だけをして、仕事に気持ちを入れすぎない働き方のこと。

今の私には、これを選択するしかなかった。
65歳までこの会社で働くつもりで、老後の資金もざっくりではあるけれど計画し、
退職後は終の住処探しの旅をするつもりだった。
今の会社を辞めて新たな会社で働くより、今の会社の方が報酬はいい。

私は、必要とされていない会社に居座り続けること、
そしてこの一人部署の時間を利用することで、静かに反抗しようと決めた。

1年後の今、思うこと

辞めなくて良かった。

1年がなければ、老後のことをここまで真剣に考えることはなかったと思う。
ただ、闇雲に不安になってばかりいたが、その原因はいつ死ぬかわからない将来の
お金や健康の問題だ。それに対して、今できることをするしかない。

そして、自分がどう生きたいのかを決める。
まだ答えは出ていないけれど、考えている自分がいる。
それで、今は十分だと思っている。

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